津山城LegendTOPページ
名護屋山三郎「津山城Legend」
名護屋山三郎(なごやさんざぶろう)とは
名護屋山三郎
 名護屋山三郎は津山城初代城主「森忠政公」の家臣の一人です。
津山城Legend推進協議会では名護屋山三郎(以下山三郎)を津山城に関係する人物として取上げています。
しかし山三郎は津山城の築城奉行ではありません。普請に関わったこともありません。
それどころか津山城築城時、すでにこの世の人ではありませんでした。
ではなぜ山三郎をアピールするのでしょうか?
もちろんイケメン武将だった、美形の武将だったということはあります。
不破万作、浅香左馬之助と並ぶ戦国三大美少年と一人といわれています。
でも、それだけではありません。山三郎と津山城の築城には深いつながりがあります。
それは森忠政公、山三郎、井戸宇右衛門の3人に係る伝説なのです。

■津山城と名護屋山三郎の秘密■
 天下分け目の関が原の後、森忠政公は信濃川中島から美作に転封。家臣の一人井戸宇右衛門を築城奉行とし築城を開始した。
当初の普請場は「院庄」、つまり津山(鶴山)ではなかったのだ。
睨み合いの松伝説01
自ら汗して普請作業に励む井戸宇右衛門。井戸はこの仕事が自分の「最後の仕事」になると思い励んでいた。
そしてその予感は的中する。
慶長8年5月3日森忠政公の命を受けた山三郎と数人の討手は普請場に現れる。
睨み合いの松伝説02
彼らの目的は井戸一門の抹殺である。山三郎は森忠政の家臣になって以来、井戸と事あるごとに反目していた。
二人の争いが森家に災いとなることを予見した森忠政公が井戸一門の抹殺を指示したのである。
「主君の命によりお命頂戴つかまつる。」
山三郎の放った渾身の太刀を井戸はかわした。
「小倅めが!」
空を切った刃は再び井戸の胸めがけて突き出された。
が、井戸は名に聞こえし剛の者。
井戸の抜刀した太刀は山三郎の刀を跳ね返し、胸に深々と突き刺さった。
山三郎は死んだ。しかしこれで終わりではない。
残った数人の討手は執拗に各々の得物で井戸を襲う。
流石の井戸も一度に襲い掛かられては敵わない。
結局、討ち取られてしまった。
睨み合いの松伝説03
森家の重臣が刃傷沙汰で2人も死んでしまうこの事件の影響は大きく、
院庄での築城はあきらめ、後に現在の津山城が築城されることになったのだ。
ちなみに院庄には事件の後、二人の遺体が埋められ墓標にそれぞれ2本の松が
植えられた。その松は一方が栄えると一方が元気がなくなるということを繰り返したため
いつしか「にらみ合いの松」と呼ばれ、現在も公園の中に残っている。
睨み合いの松伝説04

■名護屋山三郎の人生■
名護屋山三郎の人生は大きく3つに分かれています。
蒲生氏郷の小姓として活躍した「蒲生氏郷紀」
蒲生氏郷の死去にともない京都で浪人として過ごした「京都浪人紀」
森忠政公に仕えた「森忠政紀」
それぞれ以下のボタンからご覧ください。
蒲生氏郷紀
京都浪人紀
森忠政紀

名護屋山三郎 (なごやさんざぶろう)
キャラクターコンテスト
名護屋山三郎キャラクターコンテスト



Copyright(C) 2014-2015 
津山城Legend推進協議会.
All Rights Reserved.